lapislazuli3’s diary

奇跡のコース学習日記と日常

家族の喧嘩が絶えず辛かった子供時代

今日は青空が広がり、爽やかな秋晴れの一日。
どこからともなく金木犀の香りがしてきます。

 

さて、いつのまにかレッスンも後半に入ってきた感じです。
レッスン182「私は一瞬の間静まり、家に帰る」
私の中の幼子と家に帰る・・・というテーマで語られていました。

 

今回は、仕事の話からちょっと離れて、子供の頃の実家の事を語ってみたいと思います。

私の生家は、両親の喧嘩が絶えず、あまり良い思い出がありませんでした。
自分の家だったのに、いつも落ち着かず、何かあるのではないかと、いつもドキドキしていました。
母の一言から、父は、何かのドラマに出てくる父のように、ちゃぶ台をひっくり返し、大きな声を出します。
その度に生きた心地がしませんでした。
母は、私を連れて出ていこうとしたこともありましたが、途中、私が腹痛に見舞われ、結局父の元に戻ることとなりました。

 

喧嘩の原因は、だいたいが、同居していた姑と小姑の事とお金の事でした。

 

母も大変だったと思います。
祖母も叔母も、とても分別のある優しい気品のある方でしたが、父が必要以上に、祖母(父の母)と叔母(父の妹)を大切にしていました。
母は、まるで召し使いの様に、家事を任され、一人家族6人の身の回りの世話をしていました。そのうえ、姑と小姑の話にもついていけず、孤独な思いをしていたと思います。
叔母は好きな仕事をして、休日は好きな事をして、あたりまえの様に母の手料理を毎日食べていました。
叔母(父の妹)は、とても頭が良く器用だったので、父は叔母(父の妹)を「本当に良くできたやつなんだよ」と自慢しているのをよく耳にしました。
もともと末っ子で、甘やかされて育った母には、耐えられない環境だったと思います。
私は、母の不満のはけ口とされ、毎日の様に母から叔母と祖母の悪口を聞かされていました。

 

母はよくそんな不満を父に漏らしていましたが、それを父が許すわけがありませんでした。
母が不満を言うと、だいたい父が大声を出し、喧嘩がはじまりました。

 

その父はというと、娘の私を溺愛していました。
申し訳ないのですが、あまり気持ちの良いものではありませんでした。

 

ところで、夏休みは、母の実家に家族で行きましたが、実家には叔父の奥さんがいて、「別荘代わりに使っている」と良く思っていませんでした。
忙しいのに、数日とは言え大人数でおじゃまして、本当に迷惑をかけていたと思います。
なので、一緒に遊ぶ従妹達もいましたが、従妹達からは、まるで、子分の様な扱いを受けていました。

 

そうやってビクビクとオドオドして育ったせいか、私の心の習慣がイジメを呼んでしまう事がしばしばありました。
小学生の2年から3年の時に、私は学校でイジメにあっていました。
毎日いじめっ子が数人、私の席にきて、先生に気が付かれないように暴力を振るったり、お金をせびったりしていました。
「先生に言うとただじゃおかない」と言われていたので、誰にも言えなかったし、クラスメイトも巻き込まれたくなくて、知らん顔していました。
両親にも言えず、黙っていました。
毎日、朝学校に行く時間になると悲しくて、見えないところで泣いていました。
でも、私は辛抱して、学校に休まず通っていました。
小学4年になり、地域の人口が増えてきたため、小学校が増設され、新しい小学校に移り、とても良い先生にも恵まれて、イジメから解放されました。

 

数年後、今度は、弟も学校でイジメにあい不登校となり、そんなことを何度か繰り返しながら、とうとうニートとなってしまいました。
ニートの弟は、気に入らないことがあると、父の様に大声を出し、物を壊したりしました。
恐くて思わず警察を呼んでしまった事もありました。
私は、とても実家には居られず、二十歳過ぎてから、家を出ることとなりました。

 

私にとって、落ち着ける場所はどこにもありませんでした。

 

でも、それは、誰も悪くないのです。
皆が、この制限だらけの世界で、
自分の自我に従い一生懸命になって生きていたんですね。

 

自分を変えようと頑張った事もありましたが、内側にはいつもビクビク怯えたインナーチャイルドの存在を変える事はできませんでした。

 

それは、未だに解決できていない私の内側の問題であることは、認めています。
でも、今は、聖霊が導いてくださった生活環境のおかげで、静かに落ち着ける時間を持つことが出来るようになりました。
理由のない幸福を感じる事が出来るようになりました。
私のインナーチャイルドも、やっと安らぎの中、少しは安心して過ごせているのではないでしょうか。

 

そして何より、ここまで私を一生懸命育ててくださった両親、私を見守り、いろいろ教えてくださった祖母や叔母への感謝は忘れません。
そして、さまざまな出来事が、幻想世界の矛盾や苦しみを伝えてくれました。
もっともっと苦しい環境で頑張っている人々もいます。
そんな幻想世界に、神の聖霊の光が届きますように・・・。

 

まだまだ私には乗り越えていかなければいけない心の暗闇があることはわかっています。
私がその暗闇を聖霊とともに着実に通り抜ける事により、本当は神の一人子である兄弟姉妹達とともに、私の中の幼子を連れて、本当の生家に戻ることが出来るでしょう。