lapislazuli3’s diary

奇跡のコース学習日記と日常

人の目の中に光を見た時

ここのところ、秋晴れのお天気が続いています。
今日も、過ごしやすい気温の一日でした。

奇跡のコースのワークブックを引き続き行っています。

レッスン180 『私は今、自分の中に神の愛を感じる』

「あなたの中には、世界が知覚できない光がある。この光を、あなたはこの世界の目で見ることはない。あなたは世界によって見えなくなっているからである。しかしあなたにはそれを見るための目がある。その光は、あなたが見られるようにそこにある。」
という文章に出会いました。

昨日の仕事の話です。

認知症のA様という方なのですが、不安を感じるとコールが多く、「トイレに行きたい」(トイレ介助の必要な方です)「寒い」「体が痒い」「ねえ、ちょっと聞いてよ」など、内容はいろいろなのですが、10分から15分に一回のペースで、コールをしてきます。
その都度、出来る事を対応したり、傾聴したりしていました。
その時間帯は私一人で20人程の方々のコール対応をしていたので、途中、あまりのコールの多さに、他の方の対応が追い付かず、困り果ててしまいました。
再びA様に呼ばれていくと、また、「体が痒い。トイレに行きたい。」というので、私の自我は暴走しはじめて、「さっきお薬をつけたけれど、すぐ効くわけではありません。他にも待っている方がいるので、少しお時間いただけませんか・・・トイレも15分ほど前に行ったばかりですよ。さっきから何度もお手伝いしているはずです。」など少し厳しい口調で言いました。その時私はすっかり冷静さを失っていた気がします。
するとA様は、「ちょっと待ってください。」と言いなんとなく涙のたまったようなウルウルした目でこちらを見ていました。
「僕は、ご迷惑をかけてしまっていたのですね。すみません。どうやら混乱していました。どうしたらよいですか?」と急に落ち着いて話されました。その目は涙がたまっているのではなくて、薄暗い部屋の中で、美しく光っていたのでした。
その時、焦っていた私は、ひとまず冷静になることができたのです。
急に心があたたかくなりました。
そして、わたしは、「いろいろ不安だったのですね。後ほど、再度ご様子を見に伺いますので、ひとまず落ち着いてお休みくださいね。」と手を握ってお声掛けしました。
その澄んだ瞳で、コクリと静かに頷き、横になられました。
それからコールはなく、すっかり静かにお休みになられました。

普通、クリアな状態の人(普通の人)は、つじつまの合うように理性で言動をコントロールしているので、自我もキリストの意識(神の子としての本来の意識)も混在して現れます。
認知症の方というのは、つい先ほどの事を忘れてしまうほど、短期記憶が弱くなります。自己の表れとして、不思議なのですが、自我が表面に出た時は何を言っても聞かなくなり自我が暴走しますが、スイッチが切り替わると、いきなり神様のように純真無垢で美しい優しい心をみせてくださいます。

私はその方の目を見たとき、何と心穏やかになれる美しい光なんだろうと思いました。
そういった方々の日々のお手伝いをさせていただける事を本当に有難く感じます。
お手伝いしているのにも関わらず、逆に、自分自身が有難くも癒される瞬間があるのです。

これが、神の愛であり、贈り物なのでしょう。

 

今日もいろいろな学びをありがとうございます。
全ての人々が神の愛で幸福になりますように。