lapislazuli3’s diary

奇跡のコース学習日記と日常

理想の料理に巡り合って

今年の12月は、暖かくて、何だか年末という感じがイマイチです。
クリスマスソングが流れていても、イルミネーションを見ても、いつものクリスマスのワクワク感がありません。
何だか不思議です。

ここのところ夜勤が多く、何となく疲れが出ていて、体調が気になりだしました。
血圧もちょっと高めだったり、前回の健康診断で肝臓の数値が悪かったり、ちょっと考えなきゃなと思っていました。

そんなところから、YouTube動画などで勉強しているうちに、「健康管理」がマイブームとなりました。ダークチョコレートを食べたり、エプソムソルトの風呂に入ったりいろいろチャレンジしていました。

そんなせいか、少し高めだった血圧もまぁまぁ平常の値になり、少し体力も戻ってきて、さらにハマってしまったのが、ファイトケミカルスープでした。

免疫力をアップする命の野菜スープとして、ちょっと話題のようでした。

植物は歩く事が出来ないので、紫外線や昆虫、動物などから逃げる事ができません。
自分の身を守るために色や香りなどを作り出します。
これらに含まれる成分をファイトケミカルというそうです。
現在は1000種類程度のファイトケミカルが発見されています。
ポリフェノールと言われるイソフラボンアントシアニン、カロチノイドと言われるリコピンやルティンなどがそのファイトケミカルです。

ファイトケミカル生活習慣病の予防になったり、免疫力細胞を活性化させてくれるそうです。

ファイトケミカルは細胞膜の中に存在する物質で、熱を加えることによって、細胞膜を壊さないと取り出すことが出来ないというものです。
そこで、野菜スープにして摂取するということなのです。

私は、野菜は摂らなきゃとは思っていたけど、何となく生野菜は食べにくく、特に冬は体が冷えるので、あまり気が進みませんでした。

でも、ファイトケミカルスープの事を知り、野菜を食べるのが楽しみになりました。

基本は、キャベツ,ニンジン、かぼちゃ、玉ねぎの、いつでも手に入る野菜を食べやすい大きさに切り、お湯を入れた鍋でコトコト煮るだけです。
そこで出来たものがビタミンやファイトケミカルがたっぷりのスープなのです。
基本に、お好みで季節の野菜を加えると、さらに風味が増します。

何も加えず、そのままのスープをいただくと、しっかり野菜本来の味が感じられます。

ちょっと物足りないと思ったら、味噌や塩やコンソメで味付けしてもかまわないそうです。

しかし、何も加えない野菜のスープが何とも言えず癒されるのです。

こんなことで、冬が健康的で楽しいものになってきました。

聖霊の導きに感謝ですね。

赦せない自分がゾロゾロ

レッスン193『全てのものごとは、神が私に学ばせよとするレッスンである。』

今まで、奇跡のコースを学んでいるのにも関わらず、レッスンから離れた時、数限りない事で無意識に人や自分を責め続けていたと思う。
最近、ちょっとそんな瞬間に気が付くようになってきたと思うと、こんなにも赦せない自分がいたんだと驚いています。

私はいろいろな人を無意識で責めの気持ちで見ている。電車の中で椅子に荷物を置いて座っている人、自転車置き場で他の人が止められないように無造作に自転車を止めている人、人をかき分け我先にと行こうとする人。
自分に対しても、買い物で予定外の物を衝動買いしてしまったこと、料理で切り方を間違えてしまったこと、ゴミの日にゴミを出すのを忘れてしまったこと、出かける時にスマホを持ち忘れた事・・・どうでもいいような事で人を自分を責め続けています。

 

『赦しなさい。そうすれば、あなたはこれを違った見方でみるだろう。』

何でも赦せたら本当に楽でしょう。
世の中も違った景色が見えてくるというのは理解できます。

 

まずは、自分が何を赦せないのか・・・
そして、それを赦せるようになるために自分でエゴを抑え込むのではなく、何を赦せないのかを聖霊に伝えて、赦せるように導いてもらうことでしょうか。

まずは、どんな事が障害なのか、何を赦せないのかを一つ一つ知ることからはじまるように思いました。
まず、私の自我がどういうものなのかを見つめる事がスタートです。

 

自分の心の障害を知り、光を当てていくこと。
聖霊に差し出していくこと。

 

きっとそれがわかってくれば、学びは進んでいくのだと思います。

 

赦しこそが私のレッスンなのですね。
そして、それは、あらゆる物事の中にあるようです。

 

 

人の目の中に光を見た時

ここのところ、秋晴れのお天気が続いています。
今日も、過ごしやすい気温の一日でした。

奇跡のコースのワークブックを引き続き行っています。

レッスン180 『私は今、自分の中に神の愛を感じる』

「あなたの中には、世界が知覚できない光がある。この光を、あなたはこの世界の目で見ることはない。あなたは世界によって見えなくなっているからである。しかしあなたにはそれを見るための目がある。その光は、あなたが見られるようにそこにある。」
という文章に出会いました。

昨日の仕事の話です。

認知症のA様という方なのですが、不安を感じるとコールが多く、「トイレに行きたい」(トイレ介助の必要な方です)「寒い」「体が痒い」「ねえ、ちょっと聞いてよ」など、内容はいろいろなのですが、10分から15分に一回のペースで、コールをしてきます。
その都度、出来る事を対応したり、傾聴したりしていました。
その時間帯は私一人で20人程の方々のコール対応をしていたので、途中、あまりのコールの多さに、他の方の対応が追い付かず、困り果ててしまいました。
再びA様に呼ばれていくと、また、「体が痒い。トイレに行きたい。」というので、私の自我は暴走しはじめて、「さっきお薬をつけたけれど、すぐ効くわけではありません。他にも待っている方がいるので、少しお時間いただけませんか・・・トイレも15分ほど前に行ったばかりですよ。さっきから何度もお手伝いしているはずです。」など少し厳しい口調で言いました。その時私はすっかり冷静さを失っていた気がします。
するとA様は、「ちょっと待ってください。」と言いなんとなく涙のたまったようなウルウルした目でこちらを見ていました。
「僕は、ご迷惑をかけてしまっていたのですね。すみません。どうやら混乱していました。どうしたらよいですか?」と急に落ち着いて話されました。その目は涙がたまっているのではなくて、薄暗い部屋の中で、美しく光っていたのでした。
その時、焦っていた私は、ひとまず冷静になることができたのです。
急に心があたたかくなりました。
そして、わたしは、「いろいろ不安だったのですね。後ほど、再度ご様子を見に伺いますので、ひとまず落ち着いてお休みくださいね。」と手を握ってお声掛けしました。
その澄んだ瞳で、コクリと静かに頷き、横になられました。
それからコールはなく、すっかり静かにお休みになられました。

普通、クリアな状態の人(普通の人)は、つじつまの合うように理性で言動をコントロールしているので、自我もキリストの意識(神の子としての本来の意識)も混在して現れます。
認知症の方というのは、つい先ほどの事を忘れてしまうほど、短期記憶が弱くなります。自己の表れとして、不思議なのですが、自我が表面に出た時は何を言っても聞かなくなり自我が暴走しますが、スイッチが切り替わると、いきなり神様のように純真無垢で美しい優しい心をみせてくださいます。

私はその方の目を見たとき、何と心穏やかになれる美しい光なんだろうと思いました。
そういった方々の日々のお手伝いをさせていただける事を本当に有難く感じます。
お手伝いしているのにも関わらず、逆に、自分自身が有難くも癒される瞬間があるのです。

これが、神の愛であり、贈り物なのでしょう。

 

今日もいろいろな学びをありがとうございます。
全ての人々が神の愛で幸福になりますように。

介護という仕事から幻想世界を学ぶ

介護という仕事は、人の人生の最後に寄り添う仕事です。

人の命に関わる仕事なので、体力、気力、注意力などさまざまな能力を必要とします。
その割には、まだまだ給料が安いので、辞めてしまう人も少なくありません。

3Kではありますが、決められたことをこなせれば、学歴や経験問わず、どんな人でも研修を受ければ、生活が成り立つ程度稼げる仕事ではあります。
常に人手不足の業界なので、募集している職場もたくさんあります。

なので、どんな人でも出来ますが、それなりの思いをもって仕事しないと、仕事が辛くなるし、得るものもありません。(得るものは、安い給料くらいでしょうか)
それなりの思いをもって仕事にあたると、たくさんの学びをいただけます。

世の中、いろいろな方がいます。
長い長い人生を生きてきて、それぞれの方一人一人が違います。

ものごとに対する拘り方、痛みや辛さに対する訴え方、要求の仕方、人や物の好みetc.など上げるとキリがありません。

私は今まで有料老人ホームでの仕事がほとんどだったので、かなり経済的に余裕のあるご入居者様のお世話をさせていただきました。
財産のある方、地位のある仕事をされていた方、事業で成功された方などいらっしゃいます。

どんなに成功しても、お金があっても、心の幸福とは必ずしも比例しないと感じました。高級な料理を食べたり、素敵なところに旅行に行ったり、仕事で大活躍して充実した時期があったとしても、それは、時間とともに過ぎ去ってしまいます。
むしろ、それまで好きに人生を楽しめたのが、動くことさえ不自由になり、そんなギャップに苦しんでいるようにも思えます。天国から地獄に落とされた感じでしょうか。

逆にお金がなければ、病気になり、大した治療も受けられず、あっという間に死が訪れます。それはそれで、惨めで悲しいものです。

この世界は私達の人生に何をもたらしたのかと疑問に思います。

だから私は奇跡のコースを学んでいます。

どうしたら、本当の幸福に出会えるのか知りたいのです。

介護の仕事をしていると、人や自分の暗闇をいやでも見せつけられてしまいます。
だからこそ、人や自分の暗闇を知り、聖霊に助けを求める良い機会が得られます。
そこから幻想世界の感覚に慣れてしまった自分が、少しでも聖霊の視点で見ることが出来るようになる訓練の場ともなります。

私は聖霊に祈ります。
全ての人が神の贈り物を手にできますように・・・と。

3つ目の老人ホーム転職

さて、介護職転職ストーリーに戻ります。

 

再び転職しました。
勤務地は、またまた東京都内です。
また有料老人ホームへの転職でしたが、今度は少し形態が違い住宅型の老人ホームでした。

住宅型は、ご入居者様は部屋を借りていて、そこに職員が訪問介護を行うという感覚で、介護サービスを行います。
なので、本来は予定の組まれている利用者の居室を訪問して、所定のサービスを行うのですが、実際には、なかなかその通りに行かないのが現状です。
相手が人間なので、決まった時に排泄があるわけでなく、予定外の排泄介助に入ったり、イレギュラーな要望があたりまえで出てきます。
いちいちそれを取り上げて、料金をいただいていたら、考えられない請求額になってしまいます。
なので、実際は、予定にないサービスを無償で行うことが日常となっています。

最初の3年位は、施設長も一緒に働く職員もとても良い方ばかりで、リラックスして、仕事に専念できる環境でした。
前の職場に比べて、仕事内容もかなり融通がきき、それぞれに任された技術で動くことができました。
そのかわり、いいかげんな仕事をしている職員も何人かいて、前のホームと比べたら、今一つサービスの質が落ちる感じでした。

ここで、かなり心の余裕ができたので、2度目の奇跡のコースのレッスンチャレンジとなりました。

 

そして、余裕が出来てきた中で、いろいろな入居者様と接する事により、人のさまざまな人生を冷静に見ることが出来るようになりました。
介護の仕事は、本当にいろいろ学ぶ事ができます。

 

そんな感じで、ずっとここで働くだろうと頑張ってきました。
ところが4年目に入ったころ、施設長が変わり、一気に職場の雰囲気が変わりました。

 

同僚が2人ばかり入居者様の暴力を受けて、危険な目にあったことがあり、その事を施設長に相談すると、その後、何故か、施設長は私を目の敵にするようになりました。
仲の良かった職員もどんどん辞めて、施設長好みの性格のキツメな人だけが残っていきました。
施設長の当たりもどんどんキツくなり、サビ残など無理をしないといけない環境もあり、心身ともに疲れ果て、再び転職を決意しました。
施設長が変わるまでは、とても良い職場だったので残念でした。

 

でも、ここでは、そこそこ給料は良かったので、お金を貯める事が出来て、持ち家を買うことができました。
ちょうど、引っ越しもあって、全ての環境を変える事になりました。

これも、私の人生の筋書きだったのか?それとも聖霊の導きだったのか?

そして、現在の職場に至りました。

 

今日も記事をお読みいただいた方々、ありがとうございます。
全ての人々に神の贈り物が届きますように・・・。

家族の喧嘩が絶えず辛かった子供時代

今日は青空が広がり、爽やかな秋晴れの一日。
どこからともなく金木犀の香りがしてきます。

 

さて、いつのまにかレッスンも後半に入ってきた感じです。
レッスン182「私は一瞬の間静まり、家に帰る」
私の中の幼子と家に帰る・・・というテーマで語られていました。

 

今回は、仕事の話からちょっと離れて、子供の頃の実家の事を語ってみたいと思います。

私の生家は、両親の喧嘩が絶えず、あまり良い思い出がありませんでした。
自分の家だったのに、いつも落ち着かず、何かあるのではないかと、いつもドキドキしていました。
母の一言から、父は、何かのドラマに出てくる父のように、ちゃぶ台をひっくり返し、大きな声を出します。
その度に生きた心地がしませんでした。
母は、私を連れて出ていこうとしたこともありましたが、途中、私が腹痛に見舞われ、結局父の元に戻ることとなりました。

 

喧嘩の原因は、だいたいが、同居していた姑と小姑の事とお金の事でした。

 

母も大変だったと思います。
祖母も叔母も、とても分別のある優しい気品のある方でしたが、父が必要以上に、祖母(父の母)と叔母(父の妹)を大切にしていました。
母は、まるで召し使いの様に、家事を任され、一人家族6人の身の回りの世話をしていました。そのうえ、姑と小姑の話にもついていけず、孤独な思いをしていたと思います。
叔母は好きな仕事をして、休日は好きな事をして、あたりまえの様に母の手料理を毎日食べていました。
叔母(父の妹)は、とても頭が良く器用だったので、父は叔母(父の妹)を「本当に良くできたやつなんだよ」と自慢しているのをよく耳にしました。
もともと末っ子で、甘やかされて育った母には、耐えられない環境だったと思います。
私は、母の不満のはけ口とされ、毎日の様に母から叔母と祖母の悪口を聞かされていました。

 

母はよくそんな不満を父に漏らしていましたが、それを父が許すわけがありませんでした。
母が不満を言うと、だいたい父が大声を出し、喧嘩がはじまりました。

 

その父はというと、娘の私を溺愛していました。
申し訳ないのですが、あまり気持ちの良いものではありませんでした。

 

ところで、夏休みは、母の実家に家族で行きましたが、実家には叔父の奥さんがいて、「別荘代わりに使っている」と良く思っていませんでした。
忙しいのに、数日とは言え大人数でおじゃまして、本当に迷惑をかけていたと思います。
なので、一緒に遊ぶ従妹達もいましたが、従妹達からは、まるで、子分の様な扱いを受けていました。

 

そうやってビクビクとオドオドして育ったせいか、私の心の習慣がイジメを呼んでしまう事がしばしばありました。
小学生の2年から3年の時に、私は学校でイジメにあっていました。
毎日いじめっ子が数人、私の席にきて、先生に気が付かれないように暴力を振るったり、お金をせびったりしていました。
「先生に言うとただじゃおかない」と言われていたので、誰にも言えなかったし、クラスメイトも巻き込まれたくなくて、知らん顔していました。
両親にも言えず、黙っていました。
毎日、朝学校に行く時間になると悲しくて、見えないところで泣いていました。
でも、私は辛抱して、学校に休まず通っていました。
小学4年になり、地域の人口が増えてきたため、小学校が増設され、新しい小学校に移り、とても良い先生にも恵まれて、イジメから解放されました。

 

数年後、今度は、弟も学校でイジメにあい不登校となり、そんなことを何度か繰り返しながら、とうとうニートとなってしまいました。
ニートの弟は、気に入らないことがあると、父の様に大声を出し、物を壊したりしました。
恐くて思わず警察を呼んでしまった事もありました。
私は、とても実家には居られず、二十歳過ぎてから、家を出ることとなりました。

 

私にとって、落ち着ける場所はどこにもありませんでした。

 

でも、それは、誰も悪くないのです。
皆が、この制限だらけの世界で、
自分の自我に従い一生懸命になって生きていたんですね。

 

自分を変えようと頑張った事もありましたが、内側にはいつもビクビク怯えたインナーチャイルドの存在を変える事はできませんでした。

 

それは、未だに解決できていない私の内側の問題であることは、認めています。
でも、今は、聖霊が導いてくださった生活環境のおかげで、静かに落ち着ける時間を持つことが出来るようになりました。
理由のない幸福を感じる事が出来るようになりました。
私のインナーチャイルドも、やっと安らぎの中、少しは安心して過ごせているのではないでしょうか。

 

そして何より、ここまで私を一生懸命育ててくださった両親、私を見守り、いろいろ教えてくださった祖母や叔母への感謝は忘れません。
そして、さまざまな出来事が、幻想世界の矛盾や苦しみを伝えてくれました。
もっともっと苦しい環境で頑張っている人々もいます。
そんな幻想世界に、神の聖霊の光が届きますように・・・。

 

まだまだ私には乗り越えていかなければいけない心の暗闇があることはわかっています。
私がその暗闇を聖霊とともに着実に通り抜ける事により、本当は神の一人子である兄弟姉妹達とともに、私の中の幼子を連れて、本当の生家に戻ることが出来るでしょう。

次の職場の話

昨日は一日雨でした。
今日、雨上がりの秋空は爽やかです。

さて、最初の介護施設を退職して、新しい職場に通うことになりました。
次の職場も有料老人ホームでした。
そこは、最初の施設と正反対で、施設も新しく清潔感があり、職員も皆、品のある賢そうな人ばかり、衛生管理や社内教育もしっかりしていて、とても良いなと感じられる職場でした。

先輩方も常識的な方々で、指導マニュアルもあり、しっかりOJTがついて、指導してくださり安心して業務を覚える事ができました。

入居の金額も少し高額な施設だったため、入居している方々も、お金や地位に恵まれた方々がほとんどでした。

ここで、あらためて、ちゃんとした介護の仕事を教えてもらったという感じがしました。
どんな仕事でも同じかもしれないけれど、自分がどんな意識で仕事にあたっていかれるか、どれだけの技術を習得しているかは、働いてきた職場が大きく影響する事が良くわかりました。

この職場は、お互いさまざまな課題を共有しあい、相談しあって、より質の高いものを追求していく空気がありました。
全てにアイディアやセンスが光っており、数々のサービスを自信をもって提供することができました。
定期的にさまざまな介護技術の研修もあり、しっかりとした技術を身に着ける事ができました。
ここで、意識の高い先輩や同僚達と本当に充実した時間を過ごす事ができ、得られたものは、本当に大きかったと思います。

 

ここで、5年程、多くを経験、学ばせていただきました。
奇跡のコースも自学自習を続けており、日々の出来事を学びの糧にさせていただいていました。

 

ちょっと通勤に時間がかかったこともあり、異動の希望を出していました。
その異動の希望が通り、同じ系列の施設で、家に近いところに移ることとなりましたが、ここが問題でした。
何とそこには、パワハラをする先輩がいたのです。

揚げ足をとられたり、チェックを入れられたり、あらぬ疑いをかけられたり、いやな思いをしてきました。
事細かに注意されると、かえって緊張して、ミスも連発して、どんどん自信も失っていってしまいました。
(この職員のせいで、何人もがイジメにあい、退職したと聞きました。)
周りの職員も見て見ぬふり。
上司にも相談しましたが、ちゃんと取り合ってもらえず、一年は頑張りましたが、鬱になる寸前で、再び転職を決意しました。

 

この間に、奇跡的に介護福祉士の国家資格を取ることが出来たのは何よりでした。

 

パワハラを受けるようになってから、奇跡のコースを学ぶ意欲が薄れていたと思いますが、ここで、最終的には自分を赦す事を学びました。

 

そして、次なる職場に向かいました。