lapislazuli3’s diary

奇跡のコース学習日記と日常

介護の仕事をはじめて

今日は、やっと涼しくなり、過ごしやすい日となりました。
日中は、お天気が良いので、歩いているとちょっと汗ばむくらいですが、風が爽やかで気持ち良い感じです。

十数年前、はじめて介護職に就いた時のお話です。

さて、いよいよ有料老人ホームで働くこととなりました。
とりあえず、東京都のとある老人ホームの面接を受け、採用となりました。
老人ホームは、どこも人手不足で、有難いことに、私のような中年未経験でも社員として採用してくださいました。

私があえて介護の仕事を選んだのには、理由があります。
とても怖かった死と老いというものを身近に感じ、克服していきたいという思いがあったことです。

 

 

実際仕事をするためには、ヘルパー2級なる資格が必要だったので働きながら資格を取得することとなりました。
人手不足の業界では、ヘルパー2級(現在の介護職員初任者研修)の資格を取るために会社が資金援助をしてくれました。(今でもそういう会社がほとんどです。)

資格を取るまでは、身体介助等出来なかったので、掃除やベッドメイキング、見守り、自立されている方の誘導などが仕事でした。

高齢の方々は、ちょっとしたことで、転んだり、体調を崩したりと、デリケートです。
それゆえに、仕事は命に関わってくるため、先輩方の新人に対する指導も、厳しいものでした。

優しく親切に教えてくださる先輩もいましたが、「すいませんで済んだら、警察はいらないよ!」なんてキツイ事を言う先輩もいました。
新しい人が入ってくると、人手不足の現場では、なるべく効率よく安全に素早く動いて戦力となってもらわなければという先輩方の思いがあったようです。

資格取得は、特に難しいものは無く、一連の講習を受講すれば取れる資格です。(講習中に簡単な試験はあったと思いますが誰でも出来る内容です。)

いよいよ資格も取り、身体介助に関わる仕事をするようになりました。
それは、まさに3K。
自分より体重の重い人を、ベッドから車いすへ1人で移乗したり、お下のお世話をしたり、自分で食べられない人の食事介助をしたり、お風呂では身体を洗ってさし上げたり、季節のレクレーションの企画運営をしたり・・・。
身体も、頭も、心もフル稼働で働かなければいけません。

私は、もともとサービス業には慣れていたため、ご入居者様とのコミュニケーションとレクレーションは、わりとスムーズに行えました。
しかし、移乗介助や排泄介助は、コツを覚えるまで大変でした。

いきなり全身の筋肉を酷使する仕事をはじめて、足が攣ったり、ヒドイときは、背中が攣って、床をのたうち回った事もあります。
それでも、徐々に筋肉が育ち、ボディメカニクスやコテの原理を使って楽に出来るコツを覚え、力仕事も問題なくこなせるようになりました。

だんだん仕事に慣れてくると思うところが出てきます。介護がわかってくると、その施設のやり方に納得できなくなってきました。
私だったらこういう施設のお世話にはなりたくない典型の施設だったのです。

介助方法や衛生面がかなりズサンだったり、若いヘルパー達は認知症のご入居者様をからかったり、同じに仕事をしていても、若くてイケメンの男の子は何をしてもOKで施設長から特別扱いを受けていたり、気の強い年配ヘルパーは現場を自分たちのやりやすい様に仕切っていたり、セクハラやパワハラが大手を振ってまかり通っていたり、組織のやり方も納得できないものでした。
あまり、質の高い施設では、なかったのですね。

そのうえ、先輩の一人に無理やりネットワークビジネスを勧められていた事もあり、2年半程働いて、その施設を退職しました。

もちろん生活があるので、しっかり次の就職先を決めてから退職しました。
この業界はどこも人手不足なので、よっぽどの事が無い限り、就活すれば確実に仕事が決まります。

多分この間、一回目のワークブックレッスンを行っていましたが、ほとんど読んでいるというだけで、なかなか実践には至らなかったと思います。
仕事が大変で、レッスンをしっかり行える余裕がなかったのですね。

そして、この頃はまだ仕事に必死で、人の晩年に対する思いや死に対する思いなど特に何も考えず日々の業務を右から左へ行っていた時期でした。

続く・・・

失意の底から新しい日常がやってくるまで

今日は十五夜ということですが、雲が多く、今一つパッとしないお天気ですね。

心の整理のために、奇跡のコースに出会うまでの事を書いてみようと思います。

私は、15年ほど前は、ある地方で自営のサービス業をしていました。
この頃は、本当に自我の言うなりに生きてきたように思います。
プライドが高く、突っ張っていました(笑)

私という自我の幻想世界でのストーリーの中で、商売がどうにも立ち行かなくなり、お店を閉じる事となりました。

その時に、「お店を辞めたら介護の仕事をするだろう」と何となく思っていました。
そして、店を閉じて、全てを売却し、何かを求めて東京に引っ越しをしました。

しかし、商売失敗の失意と引っ越しの疲れで、その時は、はじめての介護の仕事をするなんていう勇気がありませんでした。

細々と賃貸に住み、とりあえず、20代の頃に経験あったということで、事務の仕事を見つけて働くこととなりましたが、事務から何年も離れていたので、仕事が上手くこなせず、なんと!3か月の使用期間で『解雇』されてしまいました。

とってもショックで、そのまま引きこもりとなり、数か月、住まいから出ることが出来なくなってしまいました。
その間は、毎日、今までの人生の後悔をリフレインし、自分の選択の過ちを責め、悔やみ、ただ、ただ、荒んだ惨めな将来を想像し恐れる毎日でした。
眠りたいだけ眠り、眠り飽きたら時間潰しにゲームをして、その時だけは嫌な事を忘れようとする不毛な毎日。

多分、商売をやめた時点で鬱だったのが、もっと酷くなってしまったのですね。
まだ商売を売却したお金が少し残っていたので生活は数か月だったら何とかなりました。

いよいよ生活も厳しくなったので、重い腰を持ち上げ、近くの飲食店に半日のパートに出ることとなりました。
先輩のイジメにあい罵倒されながらも、リハビリという気持ちで、ほぼ一年程、頑張ってきました。
この時、しばらくのリセット期間で鬱も少し良くなっていたのだと思います。
そして、何となく1日1回の瞑想を自主的に行っていました。

瞑想をしらべながら、ネットサーフしている時、奇跡のコースの事を知りました。

今までも、「マーフィーの成功法則」や自己啓発の本はいくつか読んできて、現実味がない、上手くいくわけがないと感じてきましたが、これはそれらとは少し趣が違うかなと思い(重い)本を手に取ることにしました。

何と難解な本だと思いながら、飛ばし読みしていたような気がします。

それから、一か月後、急に思い立ってパートを辞め、以前考えていた介護の仕事をしてみようと動き出しました。

きっとその時は、私がこの人生を諦め、肩の力が一気に抜け、聖霊に導いてもらう隙間が出来ていたと思います。

介護の仕事をはじめて、全てが一からの学びでしたし、大変な事もいろいろありましたが、鬱で真っ暗だった毎日が、それなりに充実した日々に変わっていきました。

また、続きは後日、語りましょう。

集中が途切れたときにはこれをする

お題「集中が途切れたときにはこれをする」

 

私が良くやる事2つ。

 

その1『一発手をたたく』

この音と手のひらの刺激で、気持ちの切り替えができます。
人がいると恥ずかしいので、エレベーターの中とか、周りに人がいないのを見計らって、一発ポンと手をたたきます。

 

その2『無糖の炭酸を飲む』

やっぱり炭酸の刺激ですよね~。
何故か無糖がいいんです。そして、なるべく炭酸は強めがいい!
口の中でジュワ~とくる刺激が気持ちをリフレッシュさせてくれます。

帰る道の途中だけれど

やっと秋を感じられる空気になってきました。

夜には虫の声が気持ちを落ち着かせてくれます。

爽やかな筋雲が空の高さを感じさせてくれます。

 

 

奇跡のコース レッスン166

『私には、神の贈り物がゆだねられている。』

私はまだまだ故郷に帰る途中だけれど、神から、聖霊から、多くの贈り物をいただきました。

それは、この幻想世界で言うところの、富とか地位とか名誉とか、そういった物ではないのです。

もしかすると大きな富などを手にしてしまったら、本当の幸福へ至る道に魅力を感じなくなっていたかもしれません。

もちろん、本当に苦しかった生活から、少しの『ゆとり』を感じられる生活に導いてもらいました。

奇跡を行うには、

学びを進めるためには、

丁度よいあんばいだったと思います。

 

何か特別な事があったわけではないけれど、

穏やかな幸福を感じています。

静かな幸福を感じています。

 

そんな贈り物を

少しでも多くの方々に

シェアできればと思っています。

それが、役割のようですね。

 

私自身が、まだまだ学びの途中です。

けれど、

理屈では説明できない素晴らしい感覚を

お伝えします。

理屈ではありません。

 

私は今のところ、

この幻想世界で稼ぐ手段はありますので、

仕事として教えることは考えていませんが、

この幸福に向かって歩む道を、

神、そして聖霊からの贈り物を、

シェアしていきます。

 

 

 

夢と現実の境目がぼんやり

一昨日、仕事が徹夜だったため、昨日一日ほとんど眠っていました。
それでも、ずっと眠っているいるわけではなく、時々起きて、飲んだり食べたり、テレビを観たり・・・。
眠っている時は、何だか変な夢を見ていたような、見ていないような・・・。

 

そして、今日は、買い物に出たのですが、9月も後半に入っているのに、
茹だるような暑さなのです。頭がぼや~として、まるで夢の中にいるようでした。
目に見えるものが、霞のごとき幻想のようで、
どこからが夢でどこからが現実なのか解らなくなってしまうような感じでした。

まぁこの世界は幻想らしいので、こんなものかと思いながら、今日のレッスンをはじめました。

 

奇跡のコース レッスン162
『私は神が創造したままの私である』
エゴが作り出した世界での私は、罪や罪悪感にいつもどっぷり遣っていて、
次から次へと苦しみが襲ってきます。
こんな恐ろしい夢から目覚めるためには、
自分の神聖さを思い出す必要があるようです。
だから、神から聖霊に伝えられ、私に送られている大切なメッセージは、
『私は神が創造したままの私』であり、無垢で神聖なのであるということです。
そして、神からの素晴らしい贈り物の数々にも気が付き、受け取ることができるようになれるメッセージなのですね。

 

さまざまなアバターをつくり分離してしまった私達ですが、その中の一つのアバター
バーチャルゲームであることに気が付き、本来の自身の神聖さを取り戻すと、神からの贈り物を受け取れて、他のアバターにも広がっていくということでしょうか。

 

しかし、私は、まだ、自分の神聖さを認められない自我に支配されている様です。

 

聖霊は失敗しない』ようなので、いつか幻想から出ることが出来ると信じるしかないですね。
その『いつか』も、本当の現実は時間も存在しないので、抜け出した時には全てないものとなるのでしょう。

決められた人生を緩やかに変えていく

私は食うか食われるかのバーチャルゲームに参加しています。
いつしかこのゲームに参加することを望んでしまい、過酷なレースに参加してしまいました。自分がどれだけのもの貯めこんでいくかが勝敗のカギみたいです。

このゲームを楽しんでいた時もあったけど、「もういいかな」と感じています。このゲームをしていると心がやせ衰えて、疲れ果てていると思うからです。

 

奇跡のコース レッスン159『私が受け取った奇跡を与える』

私はこのバーチャルゲームのルールにすっかり洗脳されているから、簡単にこのゲームから抜け出ることができないようです。
バーチャルゲームからログアウトできないとわかると、「えー!ヤバイ」と驚きます。

 

ログアウトするためにはヴィジョンを変えなければいけないようです。
このバーチャル世界では、人に物を与えると、自分のものは減ってしまいます。だから、増やせる可能性のあるところにしか与えなくなります。
でも、真の世界は、何に対しても与えれば与えた以上に受け取ることが出来るという信じられない法則があるようです。

この世界からログアウトして真の世界に帰るためには、この見方、ヴィジョンを変えなることが必須なのです。・・・ヴィジョンを変えなければ真の世界を受け入れることが出来ないということでしょう。

 

私は、とりあえず、少しずつヴィジョンを変えてこのゲームからログアウトする準備をすることにしました。

 

どんな人にも癒しを与え、奇跡を行っていくこと。
どんな人も赦し奇跡を与えていくこと。

 

何をどうやって与えていったらいいのでしょう。

 

でも、大丈夫です。
ちゃんとサポート役がついてくれています。
そのサポート役の聖霊が私が奇跡を受け取り、
奇跡を与えていけるよう導いてくれています。

私はただただ奇跡を行えるよう願えばよいのですね。

 

そして、奇跡に触れる度、私のヴィジョンが変わっていき、さらに、このゲームの展開がゆるやかに変わっていくようです。この過酷なゲームの中でも平穏が感じられるようになり、いつか真実に目覚める日がきて、ログアウトできるようになる。

 

私は聖霊から奇跡を少しずつ受け取っています。受け取った奇跡をあらゆる人々に与えられるように聖霊に助けてもらいます。
そうやって心を変えていきます。

私が一歩退く事

私は、この幻想世界において、自己主張する必要は全くないと感じます。
この幻想世界において、どんなに頑張っても、自己主張しても、行きつく先には希望が無いということを知っているからです。
そして、本当の安らぎと幸福に至るためには、自己主張やプライド、自我を捨て去ることが必須のようです。
そんなことを無理に主張しなくっても、私達はありのままで、神聖であり、美しく、素晴らしいからです。

な~んてこと、はじめは信じられませんでした。
それでも、少しずつ、まるで螺旋階段を上るように、納得できるようになってきました。

昨日は、奇跡のコースのレッスン155、今日は、レッスン156を学んでいます。

レッスン155で、『私はたびたび微笑むようになる』という一説がありますが、本当にその通りとなってきた事を実感します。
大きく幸運が巡ってきたわけではありませんが、ゆるっと幸福がやってきてるなぁという感じでしょうか。

一歩退いて、聖霊そして、神に導いてもらえるように、自己主張や幻想世界の自分という無駄なプライドを捨てると、肩の力が抜けてとっても楽になります。誰かに何かを言われても、あまり、気になりません。一瞬だけ、ドキリとしますが・・・(笑)
柳のように柔軟に、するっと流すようにしています。

正直言って、奇跡のコースで言われていること、例えば神の存在、聖霊の存在、実在の世界について、まだまだ理解できないことがたくさんあります。
でも、無理なく奇跡がやってきている事を体験すると、もう少し奇跡のコースを実践してみようと思うのです。

今、私が望む事は、さらに穏やかな世界に導いてもらうことです。
私と何らかの形で接した人々が、少しでも安らぎを感じてもらえるように導いてもらえることです。