lapislazuli3’s diary

奇跡のコース学習日記と日常

私の見ている世界は私が望む物を何も持っていない

今日は、奇跡のコース、レッスン144。
少し前の復習となっています。

レッスン128『私の見ている世界は私が望む物を何も持っていません』は、本当にその通りだと実感しています。
私は特に、この世界で成功してきたわけではないし、お金持ちであったわけでもないし、望むものしっかり手に入れてきたわけでもありません。
まぁ、失敗もあれば小さな成功もありの、ごく平凡な人生を送っています。

現在は、縁あって医療関係の仕事をしていますが、かつてとても恵まれた生活や成功を手にしてきた人々の結末を見る機会がありました。
その時、恵まれた人々も結局最後はみんな一緒だということを実感しました。
もしかすると、恵まれすぎた人ほど、人生の結末を辛く感じるかもしれません。

大きな幸運や財や地位、権力など手に入れても、幸せを感じるのは、ほんの束の間です。次の瞬間は、何かしらの悩みが襲ってくるので、それに立ち向かわなければいけません。最後まで、そんなことの繰り返しです。
平凡な人生を送っていても、恵まれない人生を送っていても、結局、レベルの差こそあれ、同じですが・・・。

でも、私は、恵まれすぎていなくて、ちょっと良かったかなと思います。
きっと恵まれすぎていたら、私の見ている世界・・・というものがどういうものか、考えずにいたと思います。
自分の思う通りいかなかったり、不運だったことを、簡単に、人のせいにしたり、何かを恨んだり、憎んだりすることで、納得していたかもしれません。

平凡だから、努力しても手に入らないものや、希望が叶わなかったりして、『もっと○○だったら』と思いました。
成功法則とやらも、手を出してみました。
何をしても、どんなに願っても、それほど何かが変わることは、ありませんでした。
懲りない私も、ここまでくると、『人生は平等ではない』という結論に至りました。
そして、『奇跡のコース』に出会い、ありのままの自分であっても現在の心の平和を感じることが出来るようになました。

それは、何ものにも代えがたく、有難い体験です。
特に何があったわけでなく、同じような毎日なのに、寛いでいる時に本当に幸せだな・・・と心の底から感じるのです。
『私の見ている世界は私が望む物を何も持っていない』ということが解り、望むものが何なのか、どこにあるのかを心の奥で理解しはじめたようです。

そうなってきたのは、ちょっとしたものの見方が変わったというだけの事です。

そして、目に見えている世界ではなく、私の心の中が変化してきています。
実は、目に見える世界がどうであろうと、見方を変えれば、誰でもが感じられるもののようです。

だから、私は『私の見ている世界』に何も期待しません。
私の見ている世界に期待しなくても幸せでいられるからです。

そこまで導いてくれた聖霊にそして、源である神に感謝しかありません。